応仁の乱紀行〜2009年8月31日〜
御所→相国寺→上御霊神社→室町御所跡→西陣跡→山名宗全邸跡
前々から応仁の乱の史跡めぐりをしたかったのですが、『花の乱』にはまっている弟の早雲庵と一緒にようやく行くことが出来ました。
この日は秋空でしかも晴天でしたのでとても快適な日となりました。

さてスタートは御所です。
気分は室町・・・だったはずなのですが、御所内は幕末関係の史跡が多く、つい気分はそっちの方へ^^;
気持ちをキープしながらのスタートとなりました。



御所を北に抜けますと三代将軍義満が建立した相国寺に抜けます。ようやくここで室町気分に火がつくことに。
ちなみにここは相国寺合戦と申しまして、東西両軍が死闘を繰り広げ、膠着状態に追い込まれた応仁の乱の分岐点です。この戦いで室町以前の古い権力が衰退し、混沌たる戦国時代を迎えることになります。


相国寺を出てすぐ近くに応仁の乱の前哨戦・上御霊神社があります。
この地にて畠山一族が戦い、その後山名・細川の東西両軍に分かれて戦いが始るのですが・・・御所や室町邸にとても近い場所にあり、驚きます。


さて次に向かったのは室町御所跡。鎌倉と江戸幕府の本拠地にはお城や神社、またしっかりと石碑が整備されているのですが、室町幕府跡はほとんど何もありません。今回ようやくたどり着くことが出来ました^^幕府碑は室町の散髪屋さんの角にありますが・・・意識しないとわかりません^^;;

室町邸から歩くこと30分ほどで西陣に着きます。ちなみに西陣碑は二つあります。一番簡単なのは西陣会館です。
で、その会館で昼食をと考えたのですが・・・さすがは京都&観光地。高すぎます^^;やむをえず諦めて次なる史跡へと向かいます。


西陣会館から歩いて10分ほどで山名宗全邸碑があります。しかし、この碑を見つけたからといって安心してはいけません。この石碑を左に進んでみましょう。

はい! ちゃんとした宗全邸碑があるんですね^^; ・・・ちゃんと案内板出しておけよ!!
さすがは策謀家・宗全なのでしょうが、偶然ここを通る気にならなければ見つけられなかったと思います^^;

→首途神社→黒田如水邸跡→聚楽第跡→晴明神社→名和長年討死跡
ここからは思いつくまま紀行に移行します。
その第一歩が首途神社。
ここは源義経が奥州に旅立った時の場所で、まさに義経の門出の神社なのです。弟が興味を示したおかげで見つけた神社です。

そして京都の路地を歩き回り見つけたのが黒田如水邸碑。場所はそのままで如水町の一角にあります。このあたりは本当に京都らしい町並みですので、お勧めです。

このあたりに
聚楽町という地名を見つけましたので、その跡を探しました。しかし地元の方に聞いてもわからず、探すこと30分。諦めかけたその時に見つけました^^ちなみにこのあたりは何故か散髪屋さんが多くあり、独特な雰囲気がありました。

休憩も兼ねて、かつ弟が見てみたいということもあって晴明神社へ。ここではお茶を飲んで休憩をし、心機一転次なる地へと向かいました。

次に向かったのは南北朝時代、後醍醐天皇方であった名和長年戦没跡です。
驚いたのはその規模の大きさです。マイナーな武将ですので小さな碑だけだと思いきや、かなり立派な神社になっていました。見れば海軍大将の先祖が長年だったみたいで、この神社が建立されたみたいです。

→大徳寺
名和神社の次は1時間ほど京都の街を満喫しながら北上します。

最後に選んだのは一休禅師が住職を勤めた大徳寺です。
夕方でしたので、全て閉まっていましたが、このお寺は戦国武将と縁のありますので、説明文を読むだけでも楽しかったです。
最後は疲れ果てていたのですが、弟のオファで「ひとやすみ、ひとやすみ」のポーズをとらされたりしながら、一日を終えました^^;しかし丸一日晴天の中、京都をたっぷり楽しめました。またこういう旅をしてみたいものです^^



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