大坂の陣合戦祭2014
その1





2014年10月19日
【画像提供】楠木正勝殿/片矢木様/鹿殿/戦国魂様





【序章】 

「大阪城で何かやりたい」 

この想いは私だけでなく、多くの現代武者のものではなかったかと思います。お城を舞台に大合戦が行われたのは大坂だけですし、戦国最後の戦いですので、やりたくないと思う人は少ないのではないでしょうか? 

ですが昨年の中ごろまでこの夢は実現不可能でした。 

ここでは書けませんし、何年か活動されている武者の方はご存知ですが、まあ色々ありましてとても出来る状態ではなかったのです。 

ところが。 

様々な条件が重なり、大坂の陣イベントに参画するチャンスが巡ってきたのです。 

このチャンスを運んでいただきましたのは戦国魂の鈴木さん。 

戦国魂さんは起業して今年で十年。奇しくも甲援隊設立と同じ年に活動を始められたのです。 

太秦戦国まつりでご一緒させていただきましたが、その後はご一緒する機会が少なく、それぞれの道を進んで参りました。

もし十年前にこのお話があったとしても双方および武者の方全体を見渡しても実行不可能でありました。 

色んな環境を乗り越え、そして互いに研鑽し合った昨年。 

大坂の陣をテーマにしたイベントに参画するそんな夢のような話がついに舞い込んできたのです。 

お受けするにあたって、当初から留意していた点があります。 

それは大坂の陣を甲援隊のみのイベントにしないこと。大坂の陣をやりたい、大阪城、大阪が好きという武者の方と一緒に盛り上げる。それが私の絶対条件でした。 

甲援隊の役目は取りまとめ。もちろん滅私奉公といったカッコウつけはする気はありませんでした。甲援隊も含む有志の武者たちで大坂の陣を盛り上げる、これが私の思い描く形でした。 

とにもかくにも2013年。大坂の陣に向けて私たちはスタートしたのでした。 

































【幸村博と大坂の陣】 

「幸村博と大坂の陣の違いがわからない」 

といった疑問の声は山ほどありました。 

はい。それは仕方のないこと。私もよく理解していなかったのですから^^; 

違いですが、結構直前になって整理いたしました。 

幸村博はその名の通り、真田幸村を主人公とした大坂の陣イベント。開催場所は天王寺区です。 

私の中では幸村博はどちらかと言えばエンターティメント性を高めようと考えていました。 

大坂の陣合戦祭は大坂の陣をテーマとし、大坂城攻防絵巻を再現したいと考えていました。ただ大坂が滅びておしまいということは嫌でしたし、私の性格上、哀悼でイベントを締めくくりたくはありませんでした。そこで「次なる四百年」をテーマにしたいと考えたのです。 

ちなみにこれは私事ですが、2014年に朝日時代小説大賞にて私の作品『大坂誕生』が優秀作に選ばれました。 

『大坂誕生』は大坂の陣終了後に城主となった松平忠明公を主人公とした大坂復興のお話なんですが、まあシナリオ担当の強みを生かして、知名度が限りなく低い忠明公と、現代に繋がる大坂をPR出来ればと思い「次なる四百年」というキーワードを考え出してみました。 

【とにかくやりきらねば!】 

私と鈴木さんを苦しめましたのは、とにかく予算がないこと。 

それでも鈴木さんは自腹を切りながら血を吐くように可能な限り、予算を獲得されたのですが、終始予算不足に泣かされました。 

そのため随分と甲援隊士や参加武者の方には無理を強いてきました。ですが、文句一つ仰られず、懸命に練習会に参加され、私の無茶ぶりにも涙を流しながら応えていただきました^^; 

弱音を吐いちゃダメなんですが(オフでは結構吐いてたけど^^;)、秀頼甲冑製作など鈴木さんほどではないですが、可能な限りは頑張ってきたつもりです^^ 

ですがご協力いただきました皆さんの情熱が私を励まし、そして厳しい条件の中、あのようなビックイベントを飾る合戦絵巻を再現出来たのだと思います。 

結局私がやったことは甲冑作りと、ムチャぶりしたぐらいのもので、感謝しか言葉が出てきません。 

厳しい条件でありましたが、やりきったことで、来年以降への扉が開けたと確信しております。 

【幸村博プレ】 

何が一番大変だったのか。 

それは駐車場や会場から突きつけられる条件でした^^; 

いつの頃からか、大阪という街は公共精神が乏しくなっており、他に比べてイベントが成功しない、或いは続かない、そしてイベントを契機に街を発展させていくことが出来ませんでした。 

今回のもっとも大きな弊害はまさにそれで、終始、鈴木さんはひーひー言われながら、戦ってこられました。 

もちろん武者部門にもその嵐が襲って参りまして、気分的にはスーパーマリオをやっているようでした^^; 

キノコだと思ったら実は毒キノコだったり、予想以上にクッパが強かったりなど(何の話やねん^^;)・・・とまあ、色々と大変だったのですが、その都度鈴木さんや、隊のメンバー、そして蹴鞠さんや毘毘さんをはじめとする主要メンバーに助けていただき、ゲームオーバーすることなく突き進むことが出来ました。 

さて幸村博プレイベントですが、天王寺公園にて開催されました。 

中々特殊な舞台状況でしたが、却ってそれが面白みとなりました。 

「プレ」ということで、幸村公が大坂入りするところまでを演出してみました。 

このプレでウケたのは「十四歳」の大助公役をされた富楠さん、台詞を忘れたことを見事逆手に取られた左馬さん、そして武者たちのボケと罵声(?)を受け止められた家康公役の蹴鞠さん、見事な殺陣をご披露されました羽々斬さんでした。 

結果的に申しますと、幸村博の経験が大坂の陣合戦祭に大きく貢献をいたしました。 

ちなみにお天気ですが、前日および当日は見事な晴天。ですが翌日は思いっきり雨天でした^^ 























【指が痺れ、肌が荒れ^^;】 

さていよいよ大坂の陣です。 

幸村博では秀頼公には私の甲冑を着用していただきました。ですが今後のことも考え、秀頼公専用の甲冑を作ろうと考えました。 

実は大坂の陣の準備で一番大変だったのはこの甲冑作りでした^^; 

モデルは東京国立博物館収蔵の秀頼公の腹巻。 

腹巻ですと着付けや運搬が不便だと考え、あえて二枚胴にしました。 

切付小札だし、兜もないからラクかな、と当初考えていたのですが・・・実際に作業を始めますと、可能な限り凝ってしまい、完成したのは大坂の陣開催の二日前でした^^;; 

一ヶ月ほどは毎日睡眠四時間。休みは終日作り続けました^^; 

指は痺れ、肌は荒れ、リバウンドと死闘を繰り広げながら、ひたすら作り続けました。 

ですが何とか納得のいく作品が完成し、無事本番に間に合わせることが出来ました。 

ちなみに。 

本番で秀頼公の最期に観客および参加者の型が涙していた頃。私も涙していました。無事に仕上がった甲冑を纏った知盛さんのお姿を観て^^; 

もう陽光に照らされた金札が美しくて最高でした^^ 

【嵐の練習会】 

幸村博でもそうでしたが、一番心配だったのはとにかく練習。 

果たして上手くいくのか正直なところ心配でした。今回は今までとは違い、ストーリーがあり、そして混合部隊です。息を合わせるためには必要なのはとにかく練習だけでした。 

ですが練習に当てられる時間も場所も限られており、その中でどう効率よく出来るかが最大の課題でした。 

幸村博で得た最大の経験は本番ではなく、事前練習でした。 

限られた時間における効率的な方法は何か。 

今回得た答えはとにかくリハを何度も繰り返すことでした。時間があり、人員が常に揃っているようでしたら、もっと決め細やかなことが出来たかもしれません。ですが、参加者の皆さんは私を含めて劇団ではなく一般の社会人です。また住んでいる場所もバラバラで全員集合など不可能でした。 

とにもかくにもリハ、リハ、リハの繰り返しです。 

練習会で肝に銘じていたことは当日は練習出来ないと考えておくことでした。 

当日はそれこそ準備や案内やらであっという間に過ぎ去ってしまいます。これは今まで得た体験からわかっておりましたので、とにかく前日練習までに出来ることはやり、考えうる限り効率的にしようと心掛けておりました。 

ところが。 

大坂の陣の練習会で思わぬ障害が。 

台風上陸されてしまったのです。いや、もう本当に泣きそうになりました^^; 

一番最悪なのは練習はしたけど本番が出来なかったではなく、練習が出来ず本番を迎えること。 

とにかく出来うる限り風雨が弱まってくれることを祈りながら、練習会の日がやって参りました。 

結果はまあ、台風は上陸してしまいましたが、参加者の方が気合を入れて練習に来ていただきました。そのおかげで乱戦の段取りは掴めましたし、それなりの形にはなりました。また未だに蹴鞠さんの淀殿の声が脳裏に焼きつくなどちょっとした後遺症(?)が残っております^^; 

練習会ですが前日も無事催すことが出来ました。 

ただ前日は余裕がなく、食事抜きのリハ連続。 

心内では申し訳ないと思っていたのですが、どう考えてもリハをしないとどうしようもないと考え、強行突破させていただきましたm_m 

とにもかくにもハードな条件を皆さんが黙々とこなしてこられ、無事当日を迎えることが出来ました。







【本日ハ晴天ナリ】 

さて開催日の18日、ならびに19日ですが、どちらも文句なしの晴天でした。気温も低めで最高の二日間でした。 

18日ですが、私は仕事のため、9時までご案内をさせていただき、店へ戻ることに。 

よりによってこの日は父が名古屋へ行っておりましたので、店をずっと抜ける訳にはいかず、1630まで営業しておりました。 

おかげさまで自転車1台が売れたのですが・・・その間、富楠さんに取りまとめをお願いいたしており、安心して仕事させていただきました。 

そして店を早仕舞いをして阿倍野へ。 

そのまま練習会に突入です。 

この日は知盛さんを自宅にお停めしまして、わずかな時間ながら旧交を温めることに。 

今回、私の構想では是が非でも知盛さんに秀頼役を演じていただきたく、かなり強引にお呼びいたしました^^ 

と、時間は恐ろしいまでに早く過ぎ去り、いよいよ当日です。 

大阪城でイベントがやれる! 

今までにないようなテンションの高まりを感じておりました。 

荷物を搬入し、マイクテストおよび舞台のチェックの時間がやって参りました。 

ちょっとまあ、ここで色々とあったのですが・・・隊のメンバーや援軍山さんのサポートのおかげで何とか乗り越えることが出来ました^^; 

当初計画しておりまし人員を整理し、全体リハの時間です。 

実はここからが私にとっての最大の難関でありました。 

何しろ当日参加、ならびに甲冑イベント未経験の方に合戦方法をお教えしなくてはいけなかったからです。しかもその時間は1時間強ほど。 

ポイントは二つありました。 

一つはケガをしないようにすること。 

一つはわかりやすいこと。 

私自身、あまり合戦劇の経験がありませんでしたが、石和や津での見聞をもとに色々と考察してみました。 

まず動作を決めてしまうことです。単純な動作を決めてしまい、合図と共にやっていただく。 

そして危険な行動、決められた行動以外はしないことを徹底させることでした。 

とにもかくにもイメージしましたのは私自身が物分りの悪い素人気分になってみました^^ 

限られた時間内で一致団結するにはどうしたらいいか・・・結局、ちょっとした軍隊教練みたいになってしまいました^^; 

号令に従って決められた行動をする。その繰り返しに全てを注ぎ込みました。 

結果はいずれもレベルの高い方ばかりが参加されていたのか、驚くほど素晴らしい乱戦を演じられました。 

リハが無事に終わった頃、このイベントは90%成功だという確信を私は得ておりました。 

当日の朝ですが、もう文句なしの快晴。 

気候も問題なしで、私はもちろん、鈴木さんや関係者の方の努力を天が褒めていただいたのではないかと思えたほどです。 

テンションはもちろんハイ。 

早速主要メンバーと共にマイクテストです。 

気持ちは高まっていましたが、不安材料がなしではなかったです。 

一番心配であったのは乱戦。 

何しろこの日のみ参加される方ばかりで、多くは初対面であり、そして初心者の方ばかり。 

その方たちをいかにわかりやすく乱戦をしていただけるかが勝負でした。 

実を言えば乱戦の指導は今回が初めての経験。もちろん石和や津などで乱戦を経験または見学をいたことはありますが、主導したことはありません。 

考えうる限りの準備や想定はしておりましたが、不安でいっぱいでした。 

もう一つは某団体との兼ね合い。 

色々と経験されているらしいのですが、とにかく自己主張が激しく、合わせていただけない。挙句の果てには暴言を吐かれる始末^^; 

ただでさえ初乱戦で大変な時に、私の気持ちは奈落の底へ落ちそうでした。 

ですが、ここで助け舟を出していただいたのが援軍山さんや豊国神社さんで、彼らとは別に行動することで話が着きました。 

この時、どうしようもないほどテンションが下がっており、自分でも困り果てていたのですが、一転してハイテンションに。 

参加者も揃い、正念場のリハーサル開始です。 

リハーサルが行われたのは大手門前で設営されていた自衛隊さんたちの駐屯地。 

そこでメガホン持ってリハ開始です。 

乱戦で心がけたのは次のポイント。 

一つ。簡単な動作を繰り返すこと。 

まず号令で進み出て、敵と会えば声を挙げる。そして三度槍を合わせる。終わればまた声を上げ、同じ動作を繰り返す。再び号令があれば戻るといった手順です。 

一つ。安全性を最優先。 

槍は必ず上に向け、突き刺さない。また決められた行動以外は禁止。 

一つ。決めれらた動作の徹底練習。 

声の挙げ方、隊列の組み方、そして立ち位置を単純化し、覚えていただくことに心血を注ぎました。 

もっと凝ったことを・・・という声があるかもしれません。 

ですが、上記のことでも私は厳しいとさえ考えていました。 

先述したように乱戦部隊の方は初対面であり、中には合戦劇どころか甲冑体験も初めての方が大勢いらっしゃいます。 

これは十年間に亘る武者活動で学び得たことですが、色々と難しいことをやってすべて中途半端にするよりも単純なことを可能な限り完璧にしていくことの方が大切だということです。 

昨年まで七回開催しました松屋町春の陣ですが、結果的には町にはほとんど何も残らないイベントでありました。ですが、七年間で実施した出陣式や最大75名の武者行列を指揮させていただいた経験が、大坂の陣合戦祭で活きて参りました^^ 

まさにこの十年間がなければあのような大舞台を担当することは不可能だと実感しております。 

と、結果的にどうなったのかと言いますと・・・予想以上に素晴らしい状態になりました。 

その理由は私の指導力よりも参加された方、またサポートしていただきました隊士、そして主要メンバーの方が一致団結して協力されたからで、わずか1時間ほどで全員の息が合いました。 

リハも無事終え、一旦ブースへ帰ることに。 

水分をしっかりと補給し、小時間ながら休憩をいたしました。 

やがて刻限が迫り、整列して大手門へ。 

大手門で隊列を整え、いざ出陣です。 

リハで練習した掛け声で、勇ましく西の丸庭園会場へと進んでいきます。 


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